1974 |
株式会社マツダオート東京入社 月島営業所サービス担当。
モータースポーツ課設立に伴い工場長となる。 |
1983 |
大橋孝至、寺田陽次朗らと共に株式会社マツダスピードの設立に伴い移籍。MAZDA717を開発、ル・マン24hへの挑戦を開始する。 |
1984~ 1985 |
チーフエンジニアとしてMAZDA727C、737Cを開発してル・マン24hへの挑戦を続ける。一方、マツダスピードの商品企画・開発を担当する。 |
1986 |
チームのテクニカルマネージャーとなり山梨信輔を開発コーディネーターに迎えMAZDA757を開発する。 |
1987 |
再度757でル・マン24hに挑み日本車初の総合7位に入賞する。国内ではファミリア4WDで全日本ラリー選手権のチャンピオン、ロードスターで全日本ジムカーナC車両でチャンピオンを獲得する。 |
1988~ 1990 |
チームオーガナイズマネージャーとしてMAZDA767、787と開発進化させル・マン24hへの挑戦を続ける。同時にロードスター、RX-7のスポーツキットや用品の開発を担当する。 |
1991 |
MAZDA787を改良して再度挑んだル・マンでWeidler、Herbert、Gachot組が日本車として初のル・マン24h総合優勝を遂げる。 |
1993~ |
マツダがル・マン24hへの挑戦を休止した後もマツダスピードの技術部長としてマツダユーザーがレースに参戦する際の車両開発やアドバイスを行う。また、MS007やC-Specなど、モーターファンに夢を与える車の開発にも参加する。 |
1999 |
有限会社ドゥ-・エンジニアリングを設立し代表者となる。また、JAF(日本自動車連盟)の技術部会副部会長を兼任する。 |